東京地方裁判所八王子支部 昭和41年(ワ)33号 判決 1966年11月16日
原告
森勝三郎
外三名
右訴訟代理人
長野国助
外三名
被告
ハロルド・G・モーゼス
右訴訟代理人
藤平国数
主文
被告は原告森勝三郎に対し金一八五万〇、〇五五円およびこれに対する昭和四一年二月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
被告は原告森一に対し金四六万四、四四四円およびこれに対する昭和四一年二月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
被告は原告森豊に対し金五七万四、四四四円およびこれに対する昭和四一年二月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
被告は原告森充に対し金七九万四、四四四円およびこれに対する昭和四一年二月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告らその余の請求を棄却する。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
原告ら訴訟代理人は、「被告は原告森勝三郎に対し金二四〇万〇、〇五五円、その余の各原告に対しそれぞれ金七九万四、四四四円宛を、各原告につき各支払金に対する本訴状送達の日の翌日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員をそれぞれ附加して支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、「一 不法行為。
被告は、立川基地米空軍第二八七五地上電子施設中隊所属の空軍軍務軍曹であるが、昭和四〇年一〇月一四日午後八時五分頃私用のため普通乗用自動車を運転して甲州街道を東進し府中市七六三四番地先きの信号燈施設のない交叉点に差し掛つたところ、先行の普通乗用自動車が減速徐行したにかかわらず、これを追越すため、それまでの速度時速約七〇粁(制限速度五〇粁)のまま先行車の左側に進出する過失を犯した結果、折しも原告森勝三郎の妻森真知子(当時五二才)が買物の帰途交叉点西側横断歩道を南から北に向け歩行横断中であるのを、三米の至近距離で発見、右にハンドルを切つたが及ばず、車体左前部を同女に激突させ、同女を道路わきの畑地に跳ね飛ばし、骨盤骨折、全身打撲の重傷を負わせた。(別添図参照)。被害者は直ちに府中市内の病院に収容され、同月一九日府中市内府中医王病院に転院したが、一次および二次シヨツク、尿閉、尿毒症、腸管麻痺を併発し、同月二〇日午後五時五五分呼吸麻痺で死亡するに至つた。なお、被告は当日午後四時半頃から七時半頃までビールを約三本飲んで運転していたものである。
二 損害
1 慰藉料
A 亡森真知子について金一五〇万円。
被害者亡真知子は、大正二年二月七日生れ、旧制高等女学校を卒業、昭和一〇年原告森勝三郎と結婚、原告一(長男)、同豊(三男)、同充(四男)と亡浩(次男、昭和三七年谷川岳で死亡)の四男子を育て、円満の家庭の妻として又母として、健康且つ幸福に暮らしていたものであつて、横断歩道を安全と信じ横断していたにかかわらず、被告の無謀な運転によつて一瞬にして重傷を負い、六日間にわたる治療看護の効なく、苦しみ通すうち、致命症状となり死に直面し、ついで生命を失うに至つたのであつて、その間に蒙り且つ表明した精神的、肉体的苦痛は、家庭におけるかけがえのない幸福を失う苦痛を含めて、言語に絶するものがある。
B 原告森勝三郎について金一五〇万円。
明治四〇年一月二五日生れ、旧制高等商業学校卒業、昭和三七年日本油脂株式会社を営業部決長で定年退職し、傍系会社社長に就任、昭和三八年、府中市内に約六三坪の土地と一八坪の建物とを買取つて永住のつもりで居住し、おおむね中流程度の生活を送り、昭和三九年二月腎臓性高血圧のため退職、昭和四〇年二月電気器具修理業を営む東邦産業株式会社の総務部長に就任、同年五月から九月までの間、病気再発して入院し、退院後自宅療養中に本件事故が発生し、多年苦楽を共にし幸福な家庭を築いて来た良き伴侶を突如として奪われ、しかも、シヨツクのため容態悪化し、現在小康状態にあるが、病身の世話も受けられず、その後、群馬県下の工場に勤務することになつたため単身赴任し、前記会社の寮に生活し、三男の原告豊は昭和四一年就職して千葉市に去り、四男の原告充のみが自宅に居住している有様で、老後の安住を期して楽しみにしていた土地建物も、もはや孤独の淋しさに堪えられず、これを売却処分することとしたのであつて、これらの結果すべてが、最愛の妻が何の過失もないのに生命を奪われたためであることを思えば、痛憤、悲嘆、苦悩は、言い現わしようもなく深い。これに対し、被告は、一、二度病院に見舞いに来、また告別式に参列しているが、賠償については一切を保険会社に委任したとして何ら関与しないのである。
C 原告森一について金五〇万円。
長男で昭和一二年生れ、昭和三五年東京理科大学を卒業後、松下電気産業株式会社に入社し、大阪府豊中市に居住し、昭和三七年結婚、同三九年には一子を儲けていて、長男として最愛の母を喜ばせる人生の楽しみを享けることができたのに、何の過失もない母が生命を奪われたのであつて、長子としての痛憤、悲嘆は極めて大きい。
D 原告森豊について金五〇万円。
三男で昭和一八年生れ、本件事故後昭和四一年、法政大学を卒業し、現在千葉市の百貨店に勤務しているが、事故当時円満な家庭で幸福に学生時代を過ごしていたのに、突如として一家の中心、共に暮らしていた最愛の母を、加害者の一方的重大な過失により、しかも残酷な経過のもとに、重傷および死の床に眼前を奪われてしまつたのであつて、子としての痛憤は極めて大である。
E 原告森充について金五〇万円。
末子で昭和二二年生れ、昭和四〇年電機通信大学に入学、両親と共に円満な家庭で、末子として最も可愛がられ幸福に暮らしていたもので、その他兄豊の場合と同じ状況にあり、子としての痛憤、悲嘆は極めて大である。
2 財産的損害。
(一) 本件事故発生のため原告森勝三郎は、次のとおり合計三四万八、五三六円の財産的損害を蒙つた。(原告勝三郎についてのみ。)
(1) 入院治療費等(病院支払い) 一四万九、二七〇円
(2) 附添看護料 四、〇〇〇円
(3) 葬儀費 七万〇、六〇〇円
(4) 通夜葬儀客接待費 二万四、六六六円
(5) 弁護士着手金 一〇万円
(二) 弁護士成功報酬金(原告全部について。)
勝訴の場合、各原告は、自己の獲得すべき損害賠償金に対する各一〇パーセント(日本弁護士連合会会規第七号による報酬等基準額参照)を弁護士に支払う約定がある。
三 原告らは、昭和四一年一月一四日、被告の加入する自動車損害賠償責任保険に基づき、訴外グレートアメリカン保険株式会社より金五〇万円を受領したが、同社において充当の指定をしなかつたので、これを亡真知子の慰藉料の一部に充当した。
真知子の死亡により、原告勝三郎は配偶者として、その余の原告三名は直系卑属として、共同相続によつて、亡真知子の慰藉料請求権を各相続分に応じて共同承継取得した。すなわち、原告勝三郎は、三分の一、その余の各原告は、それぞれ九分の二であるところ、右充当分を控除した残額一〇〇万円につき三分の一は三三万三、三三三円(円未満切捨て)、九分の二は二二万二、二二二円である。
四 結論として、
原告勝三郎は、亡真知子の慰藉料の相続分、自己の慰藉料、自己の財産上の損害賠償金(弁護士への成功報酬金を除く)の合計として金二一八万一、八六九円に、弁護士への成功報酬金としてその10パーセントの二一万八、一八六円(円未満切捨て)を加算するので、二四〇万〇、〇五五円の請求権を取得した。
原告一、豊、充の三名は、それぞれ、亡真知子の慰藉料の相続分、自己の慰藉料の合計として金七二万二、二二二円に弁護士への成功報酬額としてその一〇パーセントを加算して、七九万四、四四四円の請求権を取得した。
よつて原告らは、被告に対し、右各損害賠償金およびこれらに対する本訴状送達の日の翌日から各支払いずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。」と述べ、
被告訴訟代理人は、「請求棄却」の判決を求め、答弁として、
「原告ら主張の請求原因事実中、損害(請求原因二の事実)の点は不知、その余はすべて認める。」と述べ、
立証として、<以下省略>
理由
一原告ら主張事実は、損害の点(請求原因二の事実および主張中の数額)を除き、すべて当事者間に争いがない。
二そこで、損害の点につき判断する。
1 <証拠>を綜合すれば、亡真知子および原告らが各慰藉料額の根拠として主張している事実のすべて(数額を除く)を認めることができ、右認定を覆えすべき証拠はない。また、<証拠>を綜合すれば、原告勝三郎が、自己の蒙つた財産的損害として主張している事実のすべてを認めることができ、右認定を左右すべき証拠はない。
2 よつて、進んで慰藉料の数額について判断する。
(一) およそ、肉体ないし生命という法益を金銭的に評価することは不能である。また、これら法益が侵害されたことによつて生ずる直接被害者の精神的・肉体的苦痛という損害も、それによつて家庭の平和・幸福を失つた精神的苦痛という損害も、金銭をもつて対価的に量ることは不能である。直接被害者の肉親が蒙る精神的苦痛についても同様である。しかし、対価的に評価不能であつても、この法益侵害による損害は、法律上賠償されねばならない。しかも、吾人はこの場合における法的手段として、金銭賠償以外の英知をもたない。そして、この場合の金銭賠償は、対価的評価による完全填補を目的とするのではなく、損害賠償制度の本質たる衡平の原理に従つて評価される慰藉を目的とするのである。この場合における慰藉とは、このような本来評価不能の被侵害法益につき、賠償手段たる金銭そのものの具有する苦痛軽減作用によりでき得る限り被侵害者の苦痛を軽減することなのである。金銭賠償は、苦痛をでき得る限り軽減すべき妥当額をもたなければならぬ。それは結局は裁判所の裁定による他はなく、裁判所は妥当額の裁定に当り、被害の態容や直接被害者やその肉親の社会的地位、財産状態その他の事情によつて、これらの者につき金銭賠償のもつ苦痛軽減作用の程度を衡量せねばならぬと同時に、併せて、加害者をして、金銭賠償を強制される苦痛によつて、相応の償いをさせたことになる程度を衡量する必要がある。この償いすなわち賠償は、制裁や加罰を意味するものではない。これらの衡量が制裁や加罰としてでなく、衡平の原理に従つて調和を見出した点に妥当額は決定されるべきである。すなわち、加害者の社会的地位、財産状態その他の事情がその重要な要素となる。加害者の賠償金額が加害者の経済力からすれば軽少であつても、被害者側の被害の態容その他の事情が軽ければ、その金銭支払いによる苦痛は対比的にやはり償いに足る重さをもつ。逆に、被害者側の被害の態容その他の事情が重大で、その苦痛の減少に多額の賠償を必要とする場合でも、加害者の経済力からみて金銭支払いによる苦痛が極度に及んでくると、衡平の原則による衡量が働らき、賠償額は制約されて可及的な妥当点に止められることになる。
(二) 亡真知子および肉親たる原告らについての慰藉料額裁定の根拠事実は、前認定(二の1の前段)のとおりであるので、次に被告についてみると、
(1) 本件不法行為の態容が原告主張のとおりであることに争いがないことは冒頭に述べた。
(2) <証拠>によつて、次のような事実が認められる。
(イ) 被告は、米空軍技術軍曹で、事故当時二九才。その軍務は、四年毎に三度更新され、その第三回目に更新されたのは一九六三年七月であつたので、既に一〇年以上軍務に服している。妻と三人の子らと共に基地の軍宿舎に居住している。俸給は基本給月三五八ドルで、日本国内に特段の財産はない。(米本国に有する財産については証拠がなく不明である。また、将来の社会的地位の変動が明らかに予見せられる特段の事情についても証拠がないので、妥当額の衡量に必要な財産状態は、その軍人たる地位とこの基本給をもつて量る外はない。)
(ロ) 被告は、原告らとの賠償交渉を保険会社に委せ切つたが、その理由は、グレートアメリカン保険会社が本件事故による保険給付金の最高限度を一八〇万円と判定し、被告が自身の任意交渉によつてそれ以上の賠償額を承認することを営業政策上抑止し、被告も安易に保険会社に交渉を一任し、自ら交渉に当ることを回避したためである。保険会社は、その営業政策をもつて被害者加害者間の慰藉交渉に介入し制止すべきではないこと勿論であつて、これを被告についていえば、被告の執つた態度は、原告らの慰藉料額衡量の観点からは、被告に不利な一つとなる。原告らの苦痛を刺激し、苦痛の可及的減少に害があつたからである。
(三) なお、<証拠>によると、原告勝三郎は、被告が一〇年以上市民生活を離れ、私財を蓄えることなく、軍務に服していることを、法廷における被告本人の供述によつて知り、また被告に改悛の情があることをも認識し、裁判官の質問に対して、痛憤の苦痛の表明の裡にも被告に対する人間的理解を示すに至つていることが認められ、慰藉料額裁定に当つて衡量の調和に役立つ状況にある。
(四) 原告ら肉親たちが、生命を侵害された直後の被害者の慰藉料請求権を相続によつて共同承継するとともに、併存する肉親たち固有の精神的苦痛に対する固有の慰藉料請求権を行使する本件の場合、被告たる加害者が原告ら集団に対して金銭賠償をするについては、直接の被害者亡真知子に対する慰藉料が最優先的に衡量されるべきは、生命の貴重に対する条理でなければならない。遺族肉親たちの固有の慰藉料の衡量においては、既に直接の被害者に対する慰藉料によつて賠償の苦痛を科せられている被告に対し、さらに金銭支払いの苦痛を加重して科するにも妥当の限度があるため、肉親個々人が多少の不満足の分配を甘受するも止むを得ない。
(五) 以上を綜合して本件慰藉料額を裁定するに、
(1) 亡真知子については、請求の全額一五〇万円は相当である。そして原告らが、グレートアメリカン保険会社から支払われた保険給付金五〇万円をその一部に充当したことは前認定のとおりであるから、亡真知子に対する慰藉料残額は一〇〇万円となる。
(2) 原告勝三郎(夫)については、その被害法益は生命を失つた者の法益と同等に評価できないという理由も加えて、一〇〇万円が相当である。
(3) 原告充(四男)は、末子として、なお学校を卒業し就職し結婚し独立するまで母の慈愛を最も多く享受すべかりしものであつて、請求の全額五〇万円は相当である。
(4) 原告豊(三男)については、母の死亡後ほどなく卒業し就職し独立し家庭を離れたことを考慮して原告充と対比すると三〇万円が相当である。
(5) 原告一(長男)は、母の死亡当時、既に就職し独立し家庭を離れていたことを考慮して原告充、豊と対比すると、二〇万円が相当である。
三そうであつてみれば、結論として、原告勝三郎は、亡真知子の慰藉料残額一〇〇万円についての三分の一の相続分、自己固有の慰藉料一〇〇万円、自己固有の財産上の損害賠償金(弁護士への成功報酬金を除く)三四万八、五三六円を合わせた一六八万一、八六九円と、この額の一〇パーセントに当る弁護士成功報酬分担金一六万八、一八六円の請求権があり、原告一は、一〇〇万円の九分の二の相続分、自己固有の慰藉料二〇万を合わせた四二万二、二二二円と、この額の一〇パーセントに当る弁護士成功報酬分担金四万二、二二二円の請求権があり、原告豊は、同額の相続分と固有の慰藉料三〇万円の合計五二万二、二二二円とこの額の一〇パーセントに当る弁護士成功報酬分担金五万二、二二二円の請求権があり、原告充は、同額の相続分と固有の慰藉料五〇万円の合計七二万二、二二二円とこの額の一〇パーセントに当る弁護士成功報酬分担金七万二、二二二円の請求権がある。
そして、右の各金員に対して、本訴状送達の日の翌日たる昭和四一年二月一日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金をそれぞれ附加して支払うことを求める原告らの請求部分は正当である。
よつて、原告らの請求は、それぞれ以上の認定の限度において理由があり認容すべきものであるので、右の限度以上の部分は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八九条を適用し、なお仮執行の宣言はこれを付せないのを相当と認め、主文のとおり判決する。(立岡安正)